華山(げざん)は、山口県の西部、下関市にある標高713.3mの山である。山口県下関市や美祢市など西部の最高峰である。車道が山頂まで通じていて、春にはツツジなどが美しく、観光地となっている。山頂から西南西約500m付近には、仲哀天皇の殯葬所がある。また、ハンググライダーの出発地ともなっている。
山麓から見る華山 | 大きな地図で見る |
歩行距離 | 5.5km |
所要時間 | 3時間50分 |
累積標高差 | (+) 746m (-) 746m |
コース | 神上寺駐車場10:10 → 分岐12:00 → 華山12:35 → 分岐 → 神上寺14:00 |
傾斜の急な林道を登り、神上寺(じんじょうじ)の駐車場に車を置き出発する。お寺の裏にある登山口に入り石段を登っていく。林道を横切り、樹林の中の歩きやすいジグザグの丸太階段の道を登っていく。道は尾根道からトラバース道に変わる。分岐点を右に折れ少し行くと、岩屋観音窟に達する。巨岩の下の窟には、弘法大師ゆかりの観音石仏が収められている。安全祈願をして山頂に向かう。やがて開けた尾根道を抜けるとテレビ局のアンテナがあるピークに達する。ここが山頂か?だが山頂の標識がない。アンテナの先にはハングライダーの滑走台と思われ構造物がある。とにかくその下の日陰で弁当を食べることにする。春霞がかかり視界はいまひとつだが、眼下には麓の雄大な景色が広がる。食事後、舗装道をへて小さい草原の華山山頂(713.3m)に達する。隣には京ヶ嶽が見える。この山にも山頂まで舗装道が通っている様子だ。華山とは遊歩道で繋がっている。
華山山頂に西側中腹には、仲哀天皇擯葬所がある。日本書記に三韓出兵の途中に九州で崩御した。神功皇后は遺体を秘密裏に長門豊浦まで連れ帰り、宮の北、三里にある山中に擯葬したとある。その埋葬の仮埋葬地が華山の西の山岳山頂とされ、小祠が置かれている。
仲哀天皇
生没年不明。第14代に数えられる天皇。名はタラシナカツヒコノミコト。日本武尊の王子。母はフクジイリヒメノミコト、皇后はオキナガクラシヒメノミコトすなわち神功皇后。伝えによると熊襲を討つため、皇后とともに築紫に行幸したとき、まず新羅を討つべしという神の託宣にそむいたため、神の怒りに触れて先陣で没したという。この頃朝鮮半島との関係が深くなったことは事実で、その後百済の日本遣使、日本軍の高句麗との交戦なども伝えられている。陵墓は、大阪府藤井寺市藤井寺の恵我長野西陵。(ブリタニカより)
下山は山頂の遊歩道を下り、分岐点に達し往路を下る。無事神上寺の駐車場帰着する。
神上寺(じんじょうじ)の駐車場に車を置き出発する。 |
神上寺裏の石段を登る。 |
蜘蛛の巣 |
ジグザグの整備された階段の登山道を登って行く。 |
〜岩屋観音窟〜 岩屋観音窟は、標高680mのところにある。806年、弘法大師がこの岩屋に自然石の観音を祀ったと伝えられている。昔、この山上一帯には老杉の茂る比類ない霊場であり、特に、この岩屋の霊場を慕って訪れる遠近の修行者の修禅の道場として、その地位を保ってきた。山麓にある神上寺の奥之院として定められている。 |
山頂付近の案内板 |
華山山頂(713.3m) |
山頂付近にはテレビアンテナが立つ。 山頂からの眺望 山麓より華山を見る。 |
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